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新井英一楽画気館

ライブ日記


2013/01/11


日刊ゲンダイに記事が掲載されました

「今あるのはあの人のおかげ」コーナー
新井が筑紫さんとの出会いを語ってます。

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2012/09/26


東京新聞に記事が掲載されました


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2012/09/03


読売新聞西部版に特集記事が掲載されました

読売新聞西部版の特集記事「あの歌に逢いたくて」(2011年10月18日)において新井英一の『清河への道〜48番』が採りあげられました。
(画像をクリックすると拡大画像がみられます)


2002/08/22


専門誌に「韓国ツアー紀行」掲載

専門誌『PROSOUND』(2002. 8月号、隔月刊、(株)ステレオサウンド発行、1840円)に、今回の韓国ツアーに同行して頂きました、半澤公一さん(音響ご担当)の「新井英一韓国ライブ紀行」が掲載されています。
業界専門誌ですが、ツアーの様子も楽しめる内容です。

prosound表紙

 


 

2002/08/07


AERA誌にコメント掲載

現在発売されています、『AERA』(2002. 8/12-19 Vol.15 No.34 特別増大号)
『「イムジン河」と北朝鮮の絆』という記事中に新井英一もコメントを寄せています。

 


 

2002/07/12


夕刊フジ[平成14年7月11日(10日発行)]より

夕刊フジ[平成14年7月11日(10日発行)]に掲載されました記事をご紹介致します。

 

 

朝日新聞/02.02.11
クリックで
記事の画像にリンク
します。

 


小西良太郎の はやり歌通信

 歌手新井英一の存在感は、やはり相当な手強さだ。ピアノの弾き語りの「暗い日曜日」1曲で、4日、NHKホールいっぱいの客を圧倒した。呻き声とでも言うしかない声が、高揚と緊張を持続し、熱と艶を帯びる。歌が聞く側に突き付けてくるのは、野卑なくらいの生命力そのものか。
 ピアノが一転して「人の気も知らないで」に変わる。2コーラスめ、新井の歌を引き取るのが石井好子で、こちらの声もひび割れ加減に野太い。超ベテラン・シャンソン歌手と、脂が乗り切ったブルース歌手のデュエット。合計120歳はゆうに超える2人が生み出したドラマは、鳥肌ものの迫力だった。今年40回を迎えた公演“パリ祭”=写真=でのこと。
 「時にシャンソンもいいものだせ、ご同輩…」と、誰かに話したくなる。長い年月を耐えた作品が並ぶから、メロディーが多彩でスケール大きめ、詩もなかなかに深い意味あいを持つ。昨今の流行歌には失われたドラマ性が色濃く、だから歌手たちに要求されるのは歌唱力プラス演技力だ。
 前田美波里が「そして今は」で、演技者としての器の大きさを示す。鳳蘭は「ろくでなし」と「歌いつづけて」で、ミニ・ショーを展開する。瀬間千恵の「カジノ・ドゥ・ヴィシィ」が独自の世界を持つし、出口美保子の「おゝわが友よ」すごみがあった。
 「30年歌って、まだ若手ですから…」というジョークが飛び出した。そうえいば、古い知り合いの大木康子や堀内美希らもそのグループ。「愛の讃歌」を若々しい声で、朗々と歌い切った深緑夏代の年齢などあげつらう方がやぼだろう。つまりパリ祭は熟女たちの祭りなのだ。呼応する客席も、着飾った熟女が多数派…。
 フランス旅行体験組を含めた根っからのシャンソンファン、カルチャー教室でそれを学ぶ人妻たち、演歌に飽き足りず、このジャンルをレパートリーに加えたカラオケ族に、出演歌手それぞれの応援者が入り交じる気配がある。
 幕開きは出演歌手総出の「40メドレー」で「枯葉」「雪が降る」などおなじみの曲のサワリが、1曲20秒前後でズラリ。みなジャンルを超えた往年の流行歌なのが、面白い再発見だった。

=水曜掲載

夕刊フジ 様より許諾を得、転載させて頂きました。]


 


 

2002/05/21


信州日報(2002年5月16日)より

信州日報、2002年5月16日付に掲載されました取材記事をご紹介致します。
新井英一さんライブ
葛藤越えた温もりに感動 韓国ツアー経て新境地も
←クリックで記事の画像にリンクします。
(jpg、193k)
←クリックで記事のPDFにリンクします。
(pdf、97k)

[信州日報/2002年(平成14年)5月16日(木)より、許諾を得、掲載させて頂きました。]



 

2002/05/21


毎日新聞(2002年4月20日)より

毎日新聞、2002年4月20日付『ひと』に掲載されました、取材記事をご紹介致します。
日本と韓国の距離はお互いの心の距離
←クリックで記事の画像にリンクします。
(jpg、386k)
←クリックで記事のPDFにリンクします。
(pdf、193k)

[毎日新聞/2002年(平成14年)4月20日(土)より許諾を得、掲載させて頂きました。]



 

2002/04/15


朝日新聞(2002年4月12日・夕刊)より

朝日新聞、2002年4月12日の夕刊に掲載されました、取材記事をご紹介致します。
おやじの祖国でおれのブルース
韓国5都市で初ライブ
←クリックで記事の画像にリンクします。
(jpg、193k)
←クリックで記事のPDFにリンクします。
(pdf、97k)

[朝日新聞・夕刊/2002年(平成14年)4月12日(金)より許諾を得、掲載させて頂きました。]



 

2002/02/18


朝日新聞(2002年2月11日・朝刊)より

朝日新聞、2002年2月11日の朝刊・「日韓W杯へ」に掲載されました、取材記事をご紹介致します。 朝日新聞/02.02.11
クリックで
記事の画像にリンク
します。

Ole!!日韓ワールド杯へ
  壁越え一つのアジアに

            
 日本と韓国が手を組むんだねぇ。スポーツという情熱を燃やし合うところで、日韓は一つ壁を越えて近づいた。
 初めて共催と聞いた時、スムーズにいかないかと思った。「WORLD CUP KOREA JAPAN」とポスターなんかにあるね。韓国と日本のどちらを先にするかなんて大したことではないけど、韓国は気にする。日本は大きな気持ちでよく譲ってくれた。
 日本の若者が韓国へ観戦に行けば、街をぶらぶらするだけじゃなくて、庶民の日ごろの生活ぶりを見てほしいね。文化のレベルも急激に発展している。ファッションや音楽も日本と変わらない。在日の人が行けば、父母や祖父母の故郷まで足を延ばすこともあるだろう。言葉を越えて理解できるものがあると思う。
 韓国人が日本に来たら、開催地の人たちと友だちになってほしい。在日との交流もあるだろう。日韓の選手たちにも個人的に意見を交わし合ってほしいね。サッカー以外のことで、プライベートなことでも何でもいい。
 ただ、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)も共催に入っていたらと思うね。在日たちの夢ですよ。韓国人も一緒にやりたいと思っているはず。そこまで欲張りはできないかな。一つのきっかけですべてが解決するかけじゃないから。でも次の機会には、北朝鮮に呼び掛けることはできるよ。
 サッカーは息子がやっていたこともあって、たまに見ますよ。日韓戦では、韓国には「すぐに感情的にならず気持ちを抑えて。そういうところは日本選手を見習って」、日本には「もっとぶつかっていけ。押されるな」と、不思議なもので自然と両方応援しているんだ。
 大会ではいつの間にか、韓国も応援する日本人、日本も応援する韓国人、多くなるんじゃないかな。それが一番素晴らしいと思う。隣の縁の深い国同士なんだし。何よりみんな我々は同じアジアの人間ですよ。

[朝日新聞・朝刊/2002年(平成14年)2月11日(月)
より許諾を得、転載させて頂きました。]


2002/01/09


西日本新聞(2002年1月1日・朝刊)より

西日本新聞、2002年1月1日の朝刊・「日韓国民交流年」に掲載されました、
取材記事をご紹介致します。
西日本新聞(2002年1月1日・朝刊)

クリックで記事の画像にリンクします。


『海峡の氷を解かすのは僕ら』

「在日歌手」新井英一の挑戦

 三十六歳のとき韓国慶尚北道の清河を訪ねた。慶州から北へ約五十キロ。父のふるさとである。初めてだった。「やっと来てくれたか。そんな風を感じました」。本当に長い道のりだった。
 生まれ育った福岡市を十五歳で離れ、岩国の米軍基地で働いた。「本物のブルースを会得したい」。二十一歳で渡米したが、初のアルバム「馬耳東風」でデビューしたのは二十九歳。それから清河行まで七年かかった。
 ヒット曲『清河への道』が出来上がるまで、さらに九年がかかった。在日韓国人クオーターとしての半生を“旅立ち”から“故郷”“思い出”を経て“家族”まで、六章四十八番にこめた。
 「父のふるさとの人々に聞いてもらいたい」が、韓国のステージで歌った事がない。「歌えないんですよ。韓国の人たちはカラオケを日本語で歌っているのに」。
 アルバムをソウルで作ったとき、ライブハウスを見学した。矢も盾もたまらず、飛び入りで歌った。「なんだ。日本と変らないじゃないか」。聴衆の表情を見て安心した。「届いたんですよ、僕の歌が」。
“家族が俺の国だよと/妻と子供を抱き寄せた(『清河への道』48番)”
 「日本語の歌詞はわからなかったかもしれないけど」。
 今、韓国の人達がコンサートツアーを計画してくれている。「光州は市役所の職員が、慶州はお坊さんたちが、というように、計画しているのは庶民です。うれしいですよ。父のふるさとの人達にも聞かせたい」。
 日本と韓国。いちばん近い国だ。なのに、ギクシャクしている。昨年は歴史教科書問題、総理大臣の靖国神社参拝で、韓国での日本文化の解放がとん挫した。映画や舞台、ポピュラーなどの大衆文化が、大手を振って対馬海峡を渡れない。
「国と国との付き合いになると、どうしても歴史のツケを払わなければならない。やはり、庶民同士の交流が日韓にわだかまる氷を解かすと思う。僕は歌の職人と思っていますが、日韓の職人が歌や陶器や映画というモノづくりで協力すれば、庶民の交流に貢献できる。韓国ツアーは、その一歩だと思っています」

                         (東京報道部・竹原元凱)


2001/03/05


『MJ 無線と実験(2001年3月号)』より

『MJ 無線と実験(2001年3月号)』表1
『MJ 無線と実験』
2001年3月号
(第88巻 第3号 通巻937号)

雑誌 11905-3
定価 980円
誠文堂新光社
113-0033 東京都文京区本郷3-3-11
http://www.seibundo-net.co.jp/

『MJ 無線と実験 2001年3月号』に、
ライブ等の場において、PAを担当して頂いております、
OFFICE HANの半澤公一氏による、欧米ツアーレポートが6ページにわたり、
掲載されています。
半澤氏は、2000年10月の新井英一・ニューヨークライブ、フランスライブに同行し、現地でのPA事情を克明に記し、貴重なレポートとなっております。
専門的な内容ですが、写真も多く、新井ファンにも楽しめると思いますので、是非ご覧下さい!


1999/11/22


東京新聞夕刊連載コラム『この道』より


シャンソン歌手の石井好子さんご寄稿の

第86回(99/9/16)、第87回(99/9/17)に新井英一が登場!

東京新聞様、石井好子事務所様のご厚意により、

記事そのものを掲載させて頂きました。

誠にありがとうございます。


(許可を頂いてから、WEBへのアップが遅くなりましたことをお詫び致します。)
第86回  …オオカミ狩り
第87回 …チェリオ




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